安易なブラック企業の批判は無意味
最近やたらとブラック企業という言葉が飛び交っていますよね。
「低賃金」とか「長時間労働」とか「サービス残業」を課している企業を指しているようです。
しかしながら中小企業とりわけ創業期の企業は大半がこれに該当していると思います。
創業から数年間は赤字状態が続くのは当然ですから。
アートやデザインといった時間と成果が比例しない業種ではなおさらです。
私の会社も長い間そうでした。
また高度成長期の日本企業は慢性的な人手不足でしたから、大半が今で言うブラック企業だったと思います。
一部には悪質な企業もあるのは事実ですが、ブラック企業と言われる多くの企業が構造的な問題だと思います。
ブラック企業の思い出
私が27歳から37歳まで籍を置いていた小売業の会社は常軌を逸したスパルタ企業でした。
1チーム5〜6名編成で、日用雑貨品の移動型店舗販売です。
全国各地の公共施設や貸し会場を借りて商品を搬入展示販売する、いわゆる移動販売という特殊な業態でした。
一つの会場で2〜4日間営業しながら転転と移動する遊牧民のような仕事です。
朝7時から夜9時過ぎまで働き、週に2回は徹夜で長時間大型トラックを運転して移動する魔の移動日がありました。
あまりの過酷さに脱走する社員が後を絶ちません。
入社1日で辞める社員も全然珍しくありませんでした。
一応、一般社員は月に5日間の休暇がとれるのですが、私は入社2年目から店長になり、いつも人手不足でなかなか休みは取れません。
3年目当たりから販売課長として6チームの統括責任者になり、常に問題のあるチームや人手の足りないチームの指導・応援のため年中無休に近い状態が続きました。
本社勤務になってもアパートを借りることなく、本社の隣にあった仮宿泊所で寝泊まりしていました。
毎日のように非常招集がかかるのでアパートを借りてもほとんど帰れないからです。
その後、初代の商品課長、販売促進課長、スーパーバイザーを任されましたが、全国の支店の指導に奔走していました。
初めて会社に導入されたビジネスワープロも社内に誰も操作できる人がいなくて私が担当しました。
流通業の研修やセミナーもほとんど私が会社の代表として受講し、社内研修でそれを社員に伝える役割も果たしていました。
唯一の休暇である年末年始の休みも京都の会長の自宅に呼ばれ、成功哲学をたたき込まれたことがありました。
社長は普段からとても厳しい人でしたので、会議の後などにお酒に誘われても他の幹部社員は逃げ腰でしたが、私は一度も断ることはありませんでした。
社長と二人だけの酒の席で、「いつもお前だけはいるな」と言われたことをよく覚えています。
ブラック企業の戦友たち
私は、入社してちょうど10年後に退職しました。
退職して3ヶ月後、辞めていった連中を集めて初のOB会を行いました。
その後も不定期で続けており、今年は5回目を迎えます。
もちろんその間も20名くらいは個別に連絡を取って交友を深めてきました。
あんなに過酷だった職場を離れた連中が、一声かけたら即駆けつけてくれます。
いわば戦友のようなものです。
その中には会社を経営している人も少なくありません。
建築業、運送業、飲食業など。
彼らは異口同音に言います。
「あのすごい環境に耐えられたら、どんな苦労や逆境も屁(へ)みたいなもんだね」と。
彼らは、誰一人として会社の悪口を言うことなく「あんな経験ができたのは幸せだね」と何の屈託もなく明るく笑います。
ブラック企業の体験が私の原動力
私は、自分の極限を何度も体験しました。
普通の人が一生体験することのないようなゾーンを何度も経験しました。
今でも窮地に立ったときゾーンに入って、不思議な超能力とも思える現象が起こり乗り切ることがよくあります。
超のつくほどのブラック企業培われた「限界を超えた力を発揮する能力」と「死んでも諦めないという不屈の精神」は私の最大の武器になっています。
ブラック企業、ブラック企業と嫌って、楽でリスクのない環境ばかり求める現代の風潮ですが、こんな体験ができなくなることに逆に気の毒な気持ちがします。